第一章 ものごとを包括的にとらえる資質

 船が難破し、救命ボートもすべてなくなった時、周りを流れているピアノの上板でさえ、思いがけない救命具になる。そういった、偶然手に入れた昨日の思いつきを、与えられた問題の唯一の解決策だと信じ込んでいるという点で、私たちは実に多くのピアノの上板にしがみついている。私たちの頭は、特殊ケースの経験を処理するだけで、心だけがどんな特殊ケースにも例外なく作用する、一般原理を発見する。それを見抜き自分たちのものにしていけば、どんなときも有利に働く知識とすることができる。今現在、私たちが直面している死活問題は、人種の半数以上が悲惨な貧困状態にある。これは私たちが物理的な環境を包括的に改善しない限り続いていくものである。この解決ができない要因の最も重要な要因は、専門分化が包括的な思考を妨げることに気づきもせず、この社会が、専門分化こそ成功の鍵だと考えていることである。専門分化は自然であり、不可避であり、望ましいことだと社会は思いこむ。しかし、小さな子どもは、何にでも興味を持ち、全てを理解し、全てを統合しようとする。人間はこの宇宙の包括的な理解者、調整者であり。自然は人間にスペシャリスト(専門家)ではなく、幅広い順応性を求めた。地球表面の約10%でしか生活していなかった人間の中で、発明と実験を繰り返した一握りの人間は、船を造り、操り、海へと出て行く。その中で、世界の人々や陸地を、水で相互に結びつけていることに気づいた。また、地球の資源が不均一に分散していることにも気づき、様々な資源を集め、補い合えば、多くの利益、サービスを作り出せると理解した。偉大な海の冒険者たちは、常に世界のことを考えていた。世界の水は連続していて、地球の4分の3を覆っているからである。この世界が、『主権』に完全に組織化され、『国家』という主張が、ますます激しく専門分化された隷属状態と、非常に個人化された身元チェックの分類を生み出していく。
 第一章では、人間は自然の枠の中でスペシャリストとして存在しているのではなく、心を持った幅広い適応性を持った宇宙の包括的な理解者としてあるべきである。ということが言いたいのかなと思いました。今まで自分たちが受けてきた教育というのは、専門分化に特化したものであると同時に、可能性を広げるのではなく、つぶしていくことで道を作ってきたんだろうな感じました。